【街景寸考】「気を利かす」ということ

 Date:2017年05月31日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 「気を利かす」という言葉は、細かいところまで心配りができるというような意味だ。相手の気持ちやその場の状況を配慮して、行動するという言い方もできる。概して良い意味に使われているが、そうでない場合もある。会社の上司がポケットから煙草を取り出したときに、部下が素早くライターに火を点けて差し出す行為などがそうだ。

 クラブかスナックのホステスさんの場合は別として、オフィシャルな場で部下が上司の煙草に火を点けるのは卑しい行為にしか見えない。上司から気に入られようとする魂胆が、見え見えだからである。ホステスさんが客のタバコに火を点けるのは、それが仕事なので違和感はない。

 部下から煙草に火を点けてもらうことで、嬉しいと思う上司は少ないはずだ。むしろ、そういう部下のことを軽蔑する上司の方が多いように思う。ライターの火を差し出したところで、断る上司がいても不思議はない。もし、この部下のことを「「気が利く奴だ」と評価する上司がいるとすれば、その上司も部下と同じ卑しい部類の人間だと思っていい。

 「気を利かす」行為は、仕事など集団で何かを行う場合において大事になる。同じ境遇の中でお互い気を利かせ合うことで、質の高い仕事や行動ができるからだ。これができなければ、結束力は弱いものとなり、不信感まで余分に生じさせてしまうこともある。

 「気を利かす」には、まず「気がつく」眼力が必要であり、併せて心配りも必要だ。「気を利かす」という能力は、性格的なものもあれば、環境や努力によって身につけることもできる。「気を利かす」ことに疎い人間は、他人を困らせていても気づかないタイプに多い。

 最近、メディアで「忖度」(そんたく)という言葉が頻繁に取り上げられている。「他人の心中を推し量ること」という意味だ。「気を利かす」という言葉と同じような意味になる。この言葉も決して悪い言葉ではないが、「忖度」の度が過ぎると不公平、不公正を招いてしまうことがある。森友学園や加計学園の問題に関わった官僚たちの行為は、そういうことなのかもしれない。

 それにしても、この問題に対して野党もメディアも、あまりにも詰めが甘過ぎやしないか。内閣府や与党の厚顔無恥な姿勢に、不安を通り越して恐怖さえ覚えることもある。