【街景寸考】「弱気と強気」のこと

 Date:2017年06月14日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 仕事などで難題を抱え込んだとき、「自分の力で対処できるだろうか」と弱気になり、前に進むことができない場合がある。そうかと思えば、「当たって砕けろ」と強気になり、とにかく前に進んでみようという気持ちになる場合もある。

 若かった頃は、難題を前に弱気になることが多かったように思う。弱気になると、実は難題でもない場合でも、難題のように思えてしまうことがある。そして、弱気になればなるほど難題は、実際のものより大きく見えてしまうようだ。

 弱気になって良いことは何もない。思考力が鈍り、気力も萎える。精神も胃も委縮し、食欲がなくなり本当の病人になってしまうこともある。こういう状態になると、克服できる難題も克服できなくなってしまう。実際、そういう経験を何度かしてきた。弱気のままだと、人生を無為に過ごしてしまいかねないということに気づくことができた。

 こうした苦い経験を繰り返しているうちに、弱気を強気に替えれば何とかなるという要領を身に着けることができるようになった。入れ替える要領は、大して難しくはない。ただむやみに「当たって砕けろ」と自分に言い聞かすことである。強気の気分になったら、それを実践するだけである。そうすることで、大抵の場合、道が開けてくる。

 当初、大きな壁だと思い込んでいた難題が、意外にも大した厚さの壁ではなかったということが分かることがある。実際、その壁が厚くても、克服に向けての道筋が見えてくることがあり、自信をもって前に進むことができるようになる。

 ひとは気分で、弱気にも強気にもなることができる。両方ともただの気分なので、自分次第で自由に選択することができる。だったら、強気になることを選択すべきであろう。強気になれば、思考力も精神力も活性化し、食欲も旺盛になる。何となく自信のようなものが湧き出て、行動力も増してくる。

 弱気でも、強気でもなく、平然と「なんとかなるさ」という気分で、前に進むことができるタイプもいる。一見ただの楽天家のようにも思えるが、実は思考力も精神力も優れた者が多い。こういうタイプの人間になりたいと目指したこともあったが、叶わなかった。

 今は、ただの楽天家になれればよいとだけ思っている。