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【街景寸考】「女子アナ」のこと
Date:2017年06月21日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
民放テレビの女性アナウンサーは、例外なく美人ばかりである。美人ばかりの女子アナを揃えるのは、今に始まったことではない。ところがわたしの目がおかしいのか、昨今はいずれも姉妹のような同じ顔をしているように見えて、強い違和感を覚えている。
まるで同じ製造工場で作られた人形のように思えて、気味の悪さを感じることさえある。美人であることは一向に構わないが、個性という面で見ると、まるで「のっぺらぼう」ばかりが並んでいるように見えたりする。
美人アナとは言ったけれど、むしろ「可愛い系」アナと言った方が、より正確なのかもしれない。美人というにはあまりにも幼顔であり、大和撫子のような知性や大人の落ち着きを感じることができないからだ。
さらに意地悪く言えば、テレビ局は彼女たちの採用に際しては、アナウンサーとしての能力を持っていることよりも、「可愛い」を優先しているのではないかと勘ぐりたくなってしまう。「可愛い」はまだ我慢できるとしても、それだけが取り柄なのではないかと思いたくなるような女子アナを見ることもある。
ある民放の女子アナが、山田洋次監督の映画「武士の一分(いちぶん)」を紹介する際、「木村拓哉さんが主演する武士のイップン」と言ったことがあった。このときばかりは、飲みかけていたお茶を、思わず口から吹き出してしまった。
確かに「一分」と言えば、若い人たちの多くは時間の単位の「イップン」しか知らないのかもしれない。しかし、プロのアナウンサーである以上は、大目に見ることはできない。この場合、映画の題名であることを知っていたわけだから、「武士のイップン」と読むのは妙だと思わなければならず、そう思ったら事前に調べておくべきことだ。
N H Kテレビには「可愛い系」よりも、賢そうな大人の顔立ちをした大和撫子風の女子アナの方が多い(偏見かもしれないが)。彼女たちの仕事ぶりが安心して見ていられるのは、たぶんそのためだ。民放の女子アナも努力しているとは思うが、賢さが可愛さの影に隠れているせいか大人の落ち着きが感じられない。
N H K には、少なくとも「イップン」と読むような女子アナはいないであろう。ちなみに、一分(イチブン)とは、人間としての体面とか名誉のことである。「女子アナの一分」を仕事で示し、可愛さに隠れた大人としての個性が見えるようになれば嬉しい。