【街景寸考】川底でぼちぼちと

 Date:2017年06月28日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 時代の動きと同じような速さで進んで行くのが、苦手な質のようだ。いつの頃から自分がこういうふうになってしまったのか、分からない。子どもの頃の貧乏生活と無関係ではないように思えることがある。貧乏生活が続けば、その間に関わることができる物や情報がよその家庭より乏しくなるので、これが原因で時代遅れになるということが考えられる。

 ところが世間並の生活を送ることができるようになっても、時代の流れに遅れてきた分を取り戻そうという気持ちは、少しも起きなかった。世間や時代の流行物に関心が全然なかったわけではないが、その流行物がどんなものであるかを一々知るのが億劫に思えた。そういう性分だったのかもしれない。

 例えば、誰もが持っているスマホも、使えば便利だということが分かっていても、手に取ってみたいという欲求が少しも起きないのだ。携帯電話のときもスマホ同様、興味がなかった。定年後の今、自分名義の携帯電話があるにはあるが、実質的にはカミさんの管理下にあり、煩わしい思いをしなくて済んでいる。

 未だ携帯電話に送信されてきたメールを見ることも、返信することも、電話帳に登録することもできない。操作の方法を一々覚えたくないという意志が、自分のどこかで働いているのかもしれない。その意志も含めて、ただ無能なだけなのかもしれない。

 ついでにカード類のことも言っておく。クレジットカードを見ていると「借金誘引カード」にしか思えず、ポイントカードは「消費促進カード」にしか思えないのだ。これらのカード類が、何かわたしの身を持ち崩してしまう、悪魔の札のように思えたりするのだ。

 ネット上で利用されるツイッターもラインもフェイスブックもブログも、何かの通信手段であるということ以外は何も知らない。「いいね」の評価を直ぐ受けなければイライラさせられたり、いじめの道具に使われたり、ネット犯罪に悪用されたりするのを聞くと、なぜこんなふうにネットを使っているのか理解できなくなる。ネットの良さの部分を承知の上で、あえて物申している。

 自分と時代の動きのズレは、川底と川面の流れの違いに似ている。川底の流れは遅く、川面の流れは速い。流れの速い川面は快適であり、華やかさもありそうだが、目まぐるしさもありそうだ。この目まぐるしさが、どうも苦手である。自分には流れの遅い川底辺りで、ぼちぼち暮らすことが性に合っているように思う。

 近所のオヤジから「日本原人みたいだ」と冷やかされることがある。悪い気はしていない。