【四字熟語の処世術】有為転変(ういてんぺん)

 Date:2017年07月31日11時25分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 安倍政権もいよいよ終焉を迎えるのだろうか…。

 ほんの少し前まで、その支持率の高さから安倍一強とまで言われ、自民党の議員はこぞって阿倍之神輿(アベノミコシ)を担いでいた。昨年の10月には2期6年の総裁任期を3期9年に延長し、安倍内閣が歴代最長になるのではというのが大方の見方だった。その安倍内閣が、総理自身が疑惑の当事者となった森友・加計学園問題、さらには閣僚や自民党議員の不祥事等で雲行きが怪しくなり、都議選での自民党惨敗でトドメを刺された。

 一つ舵を切り間違うとこれほどあっさりと民心は離れるものか。まさに坂を転がるように崩壊に向かっている。内閣改造が起死回生の一手となるのかどうかはわからない。しかし、最早この勢いは止まず、焼け石に水となるのではないだろうか。思うに、この状況を生み出した最大の原因は総理自身の「慢心」でしかない。

 儒教の経典に四書五経がある。帝王学の書である。その四書の一つに「大学」がある。その一節に「君子に大道あり。忠信(ちゅうしん)以て之を得、驕泰(きょうたい)以て之を失う」とある。君子には歩むべき道があり、自分自身を偽ることなくまごころを持ってこの道を歩けば人々の信を得て成功するが、驕り高ぶってこの道を歩けば、人々の信を失い、果ては歩むべき道を失ってしまうという意味だ。

 君子を上に立つものと捉えれば、この孔子の教えは、家の長であれ、会社の長であれ、一国の長であれ、その位にある者の心得そのままである。政権末期の安倍内閣に照らせば、これほど分かりやすい例えは無いかも知れない。

 都議選後こそ低姿勢を続けている安倍総理だが、少し前の国会までは野党議員の質問に対し、少し小馬鹿にしたような上から目線の答弁が目についた。時には怒りで興奮し自分を見失って口早になることもしばしばだった。多くの人たちが審議不十分とした共謀罪を強行採決するなど、その言動は謙虚とはほど遠く、だれもが「驕り」「慢心」というレッテルを総理に貼っていたに違いない。そうした心の内は隠しようもなく、都議選の応援演説では国民、聴衆を前に「こんな人たち」発言まで飛び出し、民意が離れる一因を自ら作った。

 仏教用語に有為転変(ういてんぺん)とある。この世の中の事々は、常に変化し、移り変わるもの。一瞬たりとも止まってはいないと言う意味だ。以前紹介した「諸行無常」と同義である。安定政権と思えた安倍内閣ですら少しのほころび、気の緩みで一瞬のうちに揺らぎ始めるのをみると、人の世の浮き沈み、まさに有為転変の儚さを感じてしまう。

 しかし、止まらないのが常ならば、壊れてもまた再生していくのも世の常である。変化するからこそ進化があるとも言え、全てをネガティブに捉える必要は無い。新生安倍内閣であれ、他の内閣であれ、進化した政治で国民を安心して暮らせる世界へと導いて欲しい。