【街景寸考】実印のこと

 Date:2017年08月02日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 わたしが使ってきた実印は、いわゆる三文判である。40数年前、町のハンコ屋で買ったものだ。三文判とは、粗末な出来合い物の印鑑のことだ。確か、千円足らずで買った安物である。実印と言えば、何万円もする手彫りの印鑑が使われることが多い。しかも、わたしにはさっぱり読めない複雑怪奇な文字であるという点でも、共通している。

 わたしが三文判を実印にしたのは結婚してからだった。役所の手続きで印鑑登録証が必要になり、それまで認印として使っていた印鑑を実印にしたのだった。以降、この三文判を実印として今日まで使ってきた。三文判であるということで不都合だったことはない。

 ただ、三文判であることを強く意識したことが一度だけあった。自宅を建てる際、建築請負契約書に押印するときのことだ。初めての大きな契約だっただけに、三文判を押すことに後ろめたさを感じたのである。印を押す際、建築業者がこの三文判を見下すような顔つきを少しでもしたら、「三文判で何が悪い」という目つきを返すくらいの心の準備をしていた。

 ところが、その建築業者は少しも表情を変えることなく、ごく普通に事務的な対応をしただけだった。肩透かしを食ったわたしは、三文判のことであまりにも意識過剰になっていた自分が恥ずかしかった。建築業者が、この三文判を見たときにせめて怪訝な表情でもしてくれていたらと、悔やんだ。契約書に署名・押印した後、大きさの異なる二つの朱印が目に飛び込んできたときは、さすがに心がひるんだ。

 実印のことを改めて説明するまでもないが、象牙や動物の角で作られた高価な印鑑のことではもちろんない。ましてや何十万円もするような開運印鑑のことを言うのでもない。役所で印鑑登録をした印鑑が実印なので、三文判でも実印になる資格はある。認印で使っていた印鑑でも、印鑑登録をすれば実印としての効力を伴うことになる。

 一般に三文判を実印にしないのは、見栄もあるだろうが、簡単な文字で彫られているので偽造されやすいという理由もありそうだ。そういう意味では、やたらと複雑怪奇な文字にした印鑑の方がより安心感はある。加えて、象牙等の手彫りの印鑑は、契約書等に押印する際に慎重を期するという心理的効果があるのかもしれない。

 当時、わたしが三文判をあえて実印にしようとしたのは、高価な印鑑を実印にしなければならないような慣習への反発心があった。その後も三文判を実印として使い続けてきたのは、ただの惰性でしかない。ただカミさんにとっては、婚姻届を出したときの印鑑であるという思い入れがあったようである。

 いまさら実印を別の印鑑に替えようとは思わないが、もし今度生まれ変わることがあれば、もう少し重みのある実印を持ってもよいと考えている。