【街景寸考】「保証人」のこと

 Date:2017年08月17日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 子どもの頃、「保証人にだけは絶対になったらいかん」という話を、大人がしていたのを何度も聞いた。「保証人」という言葉の意味は解らなかったが、その言葉に反応して頷く大人たちの表情から、「何かの災い」に連なることなのだと想像できた。

 間もなく、子どもながらその災いが、どういうものであるのかを知る機会があった。母に連れられて近くの家に行ったときのことだった。玄関で出迎えたその家の婦人は、いつもの愛嬌がいかにもぎこちなく、こわばった表情をしていた。このとき、その家の夫婦の口から何度も「保証倒れ」という言葉が発せられていた。

 「保証倒れ」という言葉の正確な意味は分からなかったが、それが「何かの災い」の「何か」であるらしいことは、子どものわたしでも察することができた。更に、母親たちの会話から、「保証倒れ」というは、借金をしている本人の代わりに保証人であるこの家の亭主が被ることになり、その肩代わりが不可能な状態にあるというようなことまで理解できた。

 この日のことは、その後のわたしの人生訓になってきたのは確かだ。ところが、自分の親や子ども以外の保証人になったことがないので、実際、友人や知人に頼まれたときに、自分は強固に断ることができる人間なのか、それとも情に流されて引き受けてしまう人間なのか、正直分からないでいる。あるいは、相手次第ということもあり得るのかもしれない。

 もっともわたしの場合、財産らしき物をほとんど持ち合わせがないので、断る以外の選択肢は持ち得ない身である。わたしと同じような身である人が、同情心からなのか、保証の法的責任をよく理解していないからなのか、保証人を引き受けてしまう例は少なくない(今は機関保証による保証が多くなり、個人の保証は以前より少なくなってはいる)。

 保証人になるのは慎重でなければならないが、それは借金の保証人のときだけではない。アパート賃貸契約などの保証人の場合でも同じである。借主が部屋で自殺したり、殺人事件を起こしたり、重過失による火事を起こしたりしたとき、それによって生じた一切の債務を保証人が被る場合があるからだ。

 余程のことでなければ保証人を引き受けるべきではない。やむを得ず引き受けることになる場合は、保証の範囲を知り、自分の保証能力を見極めて判断すべきである。

 そう言えば、自分の子どもたちにも、早速このことを伝えておくことにしよう。