【街景寸考】「花火大会」のこと

 Date:2017年08月23日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 近くの総合運動公園でジョギングをしていたときのことだ。夜の8時近くだというのに、
南側の端にある児童公園で15、6人の子どもがはしゃぎ回り、それを見守るようにして数
人の大人たちが談笑していた。

 夏休みとはいえ、こんな時間に何があるんだろうと不思議に思っていた矢先に、突然、
小郡方面の夜空に花火が上がり、少し間をおいて爆発音が聞こえてきた。この一発目の花火で、そこに子どもたちがいるわけを理解することができた。小郡の花火大会の日だった。

 花火を見るのは好きだが、近年は、現地までわざわざ行って見ることはほとんどない。車や人の混雑の中に分け入るのは苦手だからである。遠目に見る小郡の花火は、彩りも爆音も物足りなさはあったが、静かなところでゆっくりした気分で見ることができるという良さはあるように思えた。

 早速、自宅に戻ってカミさんを誘い、公園の端っこに並んで立ったまま見た。15分ほど見ていると、やはり迫力のなさに飽きてきた。「帰ろうか」とカミさんに声をかけたが、動こうとする様子がなかったので、もう少し付き合うことにした。結局、二人は最後の華々しく輝き続ける「乱れ打ち」まで見た。

 帰りの車の中で、子どもの頃に見た故郷・川崎町の花火大会を想い出していた。花火大会というより、盆踊り大会の最後に行われる余興のような花火だった。炭鉱の長屋で暮らす人たちだけで行われる盆踊り大会で、千人を超える大人や子どもが小学校跡地の運動場に集まった。昭和30年前後の頃で、まだ炭坑の景気が良かったときだった。

 最後の踊りは産炭地らしく「炭坑節」で締めくくられた。「炭坑節」が終わると人々はそれぞれに夜空を見上げ、花火が打ち上げられるのを待った。一発目が上がると人々はどよめき、最後の「乱れ打ち」になると悲鳴に近い歓声と拍手が沸き起こった。「乱れ打ち」で終了だと思わせてから、更に仕掛け花火が放たれた。トロッコがボタ山を登って行く様子の絵柄が、真っ暗な夜空いっぱいに描かれた。

 放浪の貼り絵作家・山下清氏の「長岡の花火大会」のことも頭に浮かんできた。何かの写真で初めてこの貼り絵を見たとき、その鮮やかな美しさに感動し、それが細かくちぎられた色紙で貼り合わされていることを知り、二度感動したものである。

 「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんかおきないんだな」。各地の花火大会を描いていた頃の山下氏の言葉である。