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【街景寸考】「解散時の議員」のこと
Date:2017年10月04日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
それにしても、なぜ衆議院の解散時に議員は、揃って万歳三唱をするのだろうか。解散したからといって、何もおめでたくはないはずだ。妙な慣例だと思ってきた。大日本帝国議会から続いてきた慣例であろうことは想像できたが、なぜ万歳なのかという疑問を知らないまま今に至った。
「天皇陛下の詔書が朗読されるから」という説が有力のようだが、「万歳をすれば国会に戻れる」という縁起担ぎの説もある。議員失職により「やけっぱちの絶叫」だという声もあれば、「単なる景気づけ」だという声もある。いずれにせよ、このうちのどれかが契機となって慣例化してきたのだろう。
ところが、今回の解散風景をテレビで見ていたら、この慣例にそれほど議員が神妙に従っているわけではないのだということを知った。冒頭解散に反対した民進党と共産党の議員は国会を欠席していたし、議場内でも万歳をしていなかった議員も何人かいるのを見た。
衆議院議員全員で行うのが慣例だと思っていたが、わたしの勘違いだった。この拙稿を書いている最中にも、小泉進次郎議員が「今後も断固万歳はしません」と、わざわざ表明している様子がテレビに映っていた。
ところで今回の解散は憲法7条に基づく解散だった。7条解散をするためには、あくまで「国民のための」ものでなければならないが、そのように納得できた国民は誰一人いなかったのではないか。というより、自民党のためでもなく、仕事人内閣のためでもなく、ただ首相自身を守るための解散だったとしか思えなかったが、違うか。
断っておくが、わたしは保守でも中道でも革新でもない。というより、政治にあまり関心のない人間である。国民を幸せにしてくれる政治であれば、どんな体制でも構わないとまで思っている。ただ、おもしろそうな政治ショーは興味があり、野次馬にはなる。解散騒動で馬脚をあらわす議員たちの、あたふたと動く光景がおもしろいからだ。
その動きは、自己保身以外の何者でもなく、いかにも俗人的であり、親しみさえ覚える。普段は「改革が必要だ、国民国家のためだ」と、もっともらしく語っている議員が、いざ解散となれば、有力議員にすり寄る議員、主義、主張を曲げて追い風が吹く党に鞍替えする議員、党の看板を掲げるのは不利だとして無所属で立候補する議員もいる。
「次の選挙を考えるのは政治屋であり、次の社会を考えるのが政治家である」。誰かの名言である。悲しいかな、日本に政治家と評される議員は、そんなにいるようには思えない。