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【街景寸考】「履物の向き」のこと
Date:2017年10月11日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
治療で通う整形外科医院の玄関は、いつも履物が外向きに整然と揃えられている。履物を脱いで床に上がる際、一旦振り返って外向きに揃えるのは日本人だけの作法であることは承知している。ところが、この医院に通う患者さんは足腰の悪い高齢者が多いので、この作法の理不尽さばかりが目に付き、たびたび腹立たしさを覚える。
実際、覚束ない足取りで訪れる高齢の患者さんが、履物を脱ごうとするときや、床に上った後に振り返って履物の向きを変えようとする動作は、危なっかしくて見ていられない。
床に上がる手前で後ろ向きになり、後ろ向きのまま履物を脱ぐ患者さんもいる。この場合、履物を脱ぎあぐねて踵が床につまずくことがあり、それを見かねて他の患者さんが思わず走り寄って手を差し伸べるということもある。
思うに、履物を脱ぐときは、外から入ってきた方向で脱ぐのが自然である。外向きに整然と並んでいる光景は確かに見た目が良く、帰りも履きやすくはある。だが、高齢になればなるほど、この作法によるリスクは高くなるのも事実である。そういう状態になってまで高齢者に、この作法を暗に期待する空気があるとすれば、当然質すべきことではないか。
わたしの場合は、まだ足腰が丈夫なので、この作法を無理なく行うことができるが、あえて無作法に履物を脱ぎ続けている。多少は気になるものの、この作法に従おうという気はない。履物の向きをいちいち変えるのは面倒であり、余計な所作だと思い込んでいる。それに、履物の向きは反対でも、揃えてさえいればそう見栄えも悪くない。
この考え方をパート先の女性軍に話してみたら、即座に一蹴されてしまった。「子どもの頃から履物は外向きに揃えてきた」「子どもにも、基本的な躾として脱ぎ方を教えてきた」と、語気を強くして力説するのである。家に帰ってからカミさんにも同じことを聞いたら、やはり同じ意見が返ってきた。
自論ではあるが、そもそも履物を外向きに揃えるようになったのは、来客が帰るときのために下男や下足番がしていたことではないかと推察している。それが近現代になってからは、家人が下男に代わってするようになり、それを気の毒がった来客が、自ら来訪時の際に向きを変えるようになり、慣習として一般に定着するようになったのではないか。
だとすれば、わたしの無作法も完全否定される筋合いのものではなかろう。ましてや高齢者には、この作法からもっと解放されるよう導いてやったらいい。
入口いっぱいに下駄が脱ぎっぱなしになっていた炭鉱の共同浴場が、懐かしい。