【街景寸考】葬儀場でのこと

 Date:2017年11月01日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 葬式へ行くたびに、いつも戸惑っていることがある。

 一つは、お悔やみの言葉のことである。故人やその遺族との関係が薄い場合は、黙って頭を下げるだけでよいが、近しい間柄の場合はそうともいかず、かといって適当な言葉がなかなか出てくるものではない。

 「このたびは、ご愁傷さまです」と言うのが常套句のようだが、この言葉を実際に使っているところに居合わせたことがない。弔電などのように文章にする場合であれば何の抵抗もないが、口頭では使いづらい言葉になる。

 「お悔やみ申し上げます」は、「ご愁傷さまです」よりはまだましなような気はするが、やはり近しい間柄では使いづらい語調である。照れくささもあるが、相手から見れば水臭く思われかねない言葉でもある。「この度は強い悲しみを覚えます」は、見事に嘘っぽく聞こえ、下手にタイミングを外して言えば、お互い「プッ」と噴き出してしまいそうだ。

 以前、友人が喪主をする葬儀で、「大変だったな」と言ったことがあった。自然に出た言葉だった。この言葉が適切だったとは思っていないが、身内が亡くなったのだから「大変」なことには違いないのだと自分に言い聞かせた。友人は悔やみの言葉として受け取ってくれ、「ありがとう」と応えてくれた。ほかに言葉が見つからないので、今後も声をかけるときはこの言葉を使うことにしている。

 さて、もう一つの戸惑いは、葬儀場内での顔の表情である。葬式は厳粛な場であるので、悲しい表情をしているか、神妙な面持ちをしていなければならない。口元が緩んでいたり、愛想を見せたりすればひんしゅくを買うことになる。

 ところが葬儀場は、久方ぶりに友人や知人と再会できる場になることも多い。玄関ロビーでの再会はまだよいが、式場ホールの中でも「ヨォーッ」と咄嗟に声が出てしまう。声だけでなく満面笑顔になることもある。直ぐに神妙な顔に戻そうとしても、再会の嬉しさが厳粛な雰囲気と入り混じって戸惑った状態になる。

 これが多人数との再会となると、また勝手が違ってくる。まるで同窓会に出席したときのような気分になり、もはや自分の顔をコントロールできなくなることもある。この場合は、ほかの参列者から間違いなくひんしゅくを買っていたはずだ。

 こうした戸惑いを克服するには、更に齢を重ねる必要があるのかもしれない。