nasiweb
nasiwebとは
注目記事
新着記事
ライター登録申込
同カテゴリの他記事
【街景寸考】教育関係者が自覚すべきこと
2024年08月05日11時14分
【街景寸考】怒りのCМ退治
2024年07月08日11時43分
【街景寸考】「ミャクミャク」のこと
2024年06月03日12時59分
【街景寸考】「人生、まあまあでいい」
2024年05月07日14時52分
【街景寸考】81歳と77歳が再対決?
2024年03月05日13時40分
同ライターの他記事
【街景寸考】教育関係者が自覚すべきこと
2024年08月05日11時14分
【街景寸考】怒りのCМ退治
2024年07月08日11時43分
【街景寸考】「ミャクミャク」のこと
2024年06月03日12時59分
【街景寸考】「人生、まあまあでいい」
2024年05月07日14時52分
【街景寸考】81歳と77歳が再対決?
2024年03月05日13時40分
【街景寸考】「ハグする」のこと
Date:2017年11月08日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
「ジイジ、抱っこ」。孫娘たちはそう言って、わたしに両手を広げて飛びついてくる。この瞬間がなんとも嬉しい。ジイジの役得というところである。一方、自分の子どもたちとハグをしなくなって20数年は経った。今後もその機会は期待できそうにない。孫娘たちとも小学校低学年くらいまでしかできないと思うと、寂しい気持ちになる。
ハグはお互いの心を通わせる、最良のスキンシップと言える。欧米人には誰とでも気安くハグをする習慣はあるが、日本人の場合、公然とできるのはジジ・ババと孫との関係だけである。戦後70年間、絶えずアメリカ文化を取り入れてきた日本だが、ハグの文化は恥の文化を越えることができないままにきた。
本音を言えば、大人になっている子どもたちとハグができればと思ってはいるが、行動に移すのは難しい。子どもたちが間違ってノーベル賞を受賞したとか、災害の中で九死に一生を得たというような場合でなければ、堂々とハグすることはできない。つまり日本人の場合、滅多に起こり得ない局面が生じたときにしかハグはできない。
バレーボールや卓球、バスケットボールなどの球技では、得点をするたびに嬉しくて選手同士がハグすることはない。得点が得やすい球技だからである。ところがサッカーのように得点するのが困難な競技は、1点が入っただけでも狂喜し、強く抱き合う。これは親子が普段しないハグするときの原理と同じだ。
しかし、そのハグも感情が昂っている間のことであり、少しでも間があいてテンションが下がれば、もはや恥ずかしさが先に立ってハグはできなくなる。
更に、ハグは片方の感情だけ昂っていても成立しづらい。先日、ハグをしようとしてすべった男性をテレビで見た。被災者を乗せた自衛隊のヘリが降り立ったところだった。無事を喜んで出迎えたその男性が、女房とおぼしき女性のもとへ駆け寄ったのだったが、期待したハグができなかったのだ。
この場合、亭主が心配したほどには、女房は災害による不安や恐怖を味わったわけではなく、いわゆる九死に一生の局面を体験したのではなかったのだ。だから、人目をはばかろうとする気持ちの余裕があったのではなかったか。
そう言えば、子どもたちとのハグは期待できなくなったが、ハイタッチなら以前はよくしていた。これだったら、いつでも再開できそうだ。心を通わせる効果としては、ハグとそう変わらないのではないか。