【街景寸考】コンプラのこと

 Date:2017年12月06日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 コンプラ(コンプライアンス)という言葉が周囲で聞かれるようになったのは、10年ほど前だったように記憶している。直訳では法令遵守だが、法令だけでなく広く社会規範を守り、公正・公平に業務を遂行するという意味で使われている。

 人間が経済活動を行う際、法令等の社会規範を遵守するのは当然のことである。その当然のことを、なぜ声高に言わなければならないのかと、当時は不思議でならなかった。 

 10年ほど前と言えば、リーマン・ショックにより世界中が不況に陥った頃だ。日本経済も急減速し、超円高の影響により大手製造業も大打撃を受けていた記憶がある。だからといって、この景気後退が原因となって企業の不祥事が多発したという記憶はあまりない。

 企業の不祥事があったからコンプラが叫ばれ始めたというより、むしろコンプラが叫ばれるようになってから、企業の不祥事が多発するようになってきた気がしている。特に、昨今は日本を代表する大手企業ばかりの不祥事が目立つ。

 例えば、日産自動車の無資格者の完成検査、神戸製鋼でのデータ改ざん、富士ゼロックスの不適正な会計処理、三菱自動車の燃費データの改ざん、商工中金の書類改ざんによる不正融資だ。

 まだある。電通の女性新入社員の過労自殺、東芝の不正会計、旭化成子会社の杭打ち工事の不正等々だ。ブラック企業が急増してきたのも、この10年ではないのか。

 毒入り餃子事件など、食品の安全性をめぐる事件が中国で相次いでいたとき、そのテレビ報道を見ながら、「やっぱり中国は怖いな」と言ったら、カミさんから「日本も中国ばかりを悪く言えなくなったんじゃないの」と切り返されたことがあった。

 なぜこうも日本の企業は、信用・信頼を落とすことばかりするようになったのか。やはりリーマン・ショック以降の景気後退と関係があるのだろうか。それとも企業体質が経年劣化する時期とたまたま重なっているだけなのか。あるいは企業に携わる人間としての資質そのものが壊れてきたからなのか。

 「自分よし、相手よし、世間よし」(三方よし)。昔、近江商人が商いの原点として使ってきた言葉である。こっちの方がコンプラよりは、よほど分かりやすい。