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【街景寸考】化粧のこと
Date:2018年02月07日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
化粧の厚い女性は、何かの戦闘モードでいるときのように見えることがある。薄化粧の女性は、どこかで恋する娘心の気分と繋がっているように思えることがある。
女性は化粧をするものだと思い始めたのは、4、5歳の頃だ。祖母が外出する際、必ず鏡の前に座っているのを見ていたからだ。鏡の前に座った祖母の顔は、段々白くなり、頬の辺りは赤くなっていた。出来上がった顔は奇妙に見え、それが外出用の顔であることが更に奇妙に思えた。
化粧のことでは、他にも忘れられない光景がある。小学生の頃、祖母と隣町の商店街を歩いているときのことだ。道の反対側から腰を大きく振り、赤い着物をだらしなく着た70歳前後とおぼしき老婆が近づいてくるのが目に留まった。白粉も濃く、頬紅や口紅も鮮やかな赤色が塗られていた。
その老婆とすれ違った際、祖母は後ろを振り向きながら「フェッ、ヘッ、ヘッ」と口をゆがめて小さく笑っていた。わたしは、祖母のその笑い方の中に、軽蔑心が含まれていることを感じ取っていた。
かつて電車通勤をしていた頃、毎朝同じ駅のホームで顔を合わす中年の女性がいた。その女性は、笑うと劣化したペンキのように剥がれるのではないかと思うほどの、厚化粧をしていた。髪型や服装は地味に装っており、性格も大人しそうに見えるのに、なぜ厚化粧なのかという気持ちがあった。
その彼女の素顔を一度だけ見たことがあった。地元のスーパーで買物をしていたときだ。化粧しているときよりもよほど品があり、美しかった。このときわたしは彼女に対して、なぜ厚化粧なのかという気持ちが更に強くなった。その素顔を厚化粧で隠す必要がどこにあるのかと、何度も思った。
もしかしたら、彼女はぎこちないほど真面目な性格であり、化粧はマナーだとしか考えていなかったのではないか。そうだったとしても、彼女のちょっとした仕草から感じられる賢さを思えば、剥がれ落ちそうな厚化粧を理解することがどうしてもできなかった。
この彼女の例だけをとって言うわけではないが、化粧というものは個々のセンスや心理事情、更には客観評価などが絡み合って表現されてきた文化なのだと、あらためて思う。その上で言いたい。化粧は知性の感じられる、あか抜けたものであってほしいと。
ところで、ウチのカミさんはほとんど化粧をしない。これをどう解釈してよいのか、未だに考えあぐねている。