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【街景寸考】マンガ力のこと
Date:2018年02月21日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
マンガ本を買って貰うことがなかったわたしは、近所の友だちの家に上がり込んでは、乱雑に積まれたマンガ本を次々と読みあさっていた時期があった。昭和30年頃だ。
当時の少年漫画雑誌は、月刊物ばかり売られている時代だった。「少年画報」「ぼくら」「冒険王」「少年ブック」などである。これらの漫画雑誌には、小さな別冊本が何冊も付録として挟まれ、本誌に掲載されている各マンガの続編になっていた。
7、8歳頃は「少年画報」に掲載された「月光仮面」「まぼろし探偵」を夢中になって読んだ。月光仮面がまとっている白マントが恰好良く、それを真似て風呂敷をマント代わりにまとい、いつも独り芝居をしては悪を退治していた。
中学生の頃になると、「少年マガジン」「少年サンデー」「少年ジャンプ」などの週刊漫画雑誌が次々に創刊されてきた。昭和37年前後の頃だ。ところが、週ごとに親から買ってもらえるような友だちはおらず、かといって立ち読みができそうな書店も町内にはなかったため、次第にマンガを読む機会がなくなっていた。
高校生になると、通っている学校の近くの書店で、「巨人の星」(川崎のぼる)を立ち読みするようになり、加えて、上京後の浪人時代は「あしたのジョー」(ちばてつや)や「愛と誠」(梶原一騎)にものめり込んでいた。いずれも勇気、根性を描いたものだった。
昔も今も、「マンガばかり読んでいないで、勉強しなさい」と叱る親たちは多い。わたしの場合、この言葉を自分の子どもたちに言ったことは一度もなかった。わたし自身がマンガを読んできたので、読むなとは言えた柄ではなかったからだ。それに、マンガから色々学んできたという思いもあったのかもしれない。
マンガは学力に差し支えるという親の懸念も、一理ある。しかし、教科書からは受験勉強は学べても、人間の生き方や勇気、根性などを学ぶことはあまりできない。それらを手っ取り早く、分かりやすく教えてくれたのがマンガでもある。落ちこぼれ児童だったわたしが、劣等感を持たずに学校生活を何とか過ごすことができたのは、マンガのお陰だった。
近年、歴史物や啓発物などが、マンガ本にして売られるようになってきた。マンガでそうした書物を描く技術もさることながら、分かりやすく描かれているところがいい。
昨今、中学生(コペル君)を主人公にした「君たちはどう生きるか」というマンガ本が、幅広い層で読まれている。約80年前に書かれた小説を、マンガにしたものだ。そこには、マンガの力を借りて人間や社会に一石を投じようとする編集者の意図を、垣間見る。