【街景寸考】七夕のこと

 Date:2018年07月04日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 ♪笹の葉さらさら  のきばに揺れる  お星様きらきら  金銀すなご
  五色の短冊    わたしが書いた  お星様きらきら  空から見てる 

 御存じ、七夕のときに歌われる「たなばたさま」の歌詞である。小学生の頃、担任の弾くオルガンに合わせて、教室が割れんばかりに大声を出して歌っていた。歌うたびに、笹竹に飾った五色の短冊と夜空に輝く無数の星々を脳裏に浮かべていた。

 ところで、行事としての七夕はあまり楽しいと思ったことはなかった。願い事を短冊に書いて笹に吊るし、それを眺めながら「たなばたさま」の歌を歌うだけだったからだ。正月のようにお年玉がもらえるわけではなく、子どもの日のように柏餅が食べられるというわけでもなかったからだ。

 そう言えば、七夕の正確な由来を未だ知らない。天の川を隔てて離れ離れになった織姫と彦星が、7月7日の夜に逢瀬がかなうという知識くらいしかない。織姫と彦星の逢瀬と、短冊に願い事を書くという風習との繋がりも知らない。

 先日、カミさんと量販店に行った際、店内に短冊を吊るした笹竹が飾られているのを目にした。小学生が書いた短冊だった。最初にのぞいた短冊には「全部の教科で百点を取れますように」という願い事が書かれていた。日頃から成績の良い子が書いたものだろう。「全部百点」という大胆さに小気味よさを覚えた。

 「大きくなったらアイドルになれますように」という短冊が2、3あった。いかにも女の子らしい願い事である。「猫になれますように」という実現不可能な願い事もあった。猫が好きな子どもであることは解るが、本気で猫になりたがっているとすれば多少問題である。「世界が良くなりますように」という立派な願い事もあった。世界各地で起きている紛争を悲しんで書いたものなら、大した子どもである。

 「この家から出られて幸せになれますように」(原文のまま)という穏やかではないような願い事もあった。家出願望とも受け取れる言葉である。親の虐待を暗に訴えているようにも。これが二十歳前後の若者が書いたものならどうということはないが、何しろ書いたのは小学生だ。心配もしたくなる。中には「老後の生活が安心してできますように」というのがあり、さすがにわたしもこれには「まいった」。

 このように、七夕は子どもたちの願い事に触れることができる行事である。夏の宵、笹竹を見て童心にかえる機会を与えてもくれるのも七夕だ。いずれにしても「ほっこり」した気分にさせてくれる夏の風物詩である。