【街景寸考】正平さんの「こころ旅」

 Date:2018年09月12日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 自転車をこぎ続ける男の後姿が頻繁に映し出される番組である。テレビカメラは田舎道や旧道を自転車と共に走り、その先には里山や街並みが広がっている。それらの風景はどこにでも見られるありふれたもので、旅情あふれるという景色が映ることはない。この番組を見始めた頃は、退屈な気分になることさえあった。

 ここまで書けば、この番組がBSプレミアムでやっている「日本縦断・こころ旅」のことだと気づく人もいるのではないか。70歳に近い俳優の火野正平さんが4人のスタッフと隊をなして、自転車で全国を走り回るという番組だ。7年間も続いている番組なので、多くの人たちに見られているに違いない。

 確かに、この番組はよく民放の旅番組なんかでやっているような、色々な観光スポットやグルメを紹介して回るわけではなく、人々の暮らしぶりや人柄に焦点を当てるようなヒューマンチックな番組でもない。正直言って、最初の頃はこの番組制作の意図がどこにあるのかよく理解できなかった。

 ところがそれから数年経った今も、わたしはこの番組をときどきではあるが見続けている。噛めば噛むほどするめのように段々その味が分かってくるようになった。その魅力は、目的地に着いたときに正平さんが朗読する手紙にある。正平さんはいつも無造作にあぐらをかいて、その手紙を読み始める。手紙は視聴者が深く思いを寄せてきた「こころの風景」や、それにまつわるエピソードが書かれたものだ。

 「こころの風景」とは、「こころに刻まれた情景」や「思い出深いふるさとの景色」であり、「大切な人と共に佇みながら見た風景」などでもある。目的地とは「こころの風景」を見ることができる場所のことだ。

 これらの手紙に魅かれるのは、手紙を寄せた視聴者の人間性や人生を短い文面に垣間見ることができるからだ。「楽しかったこと」「切なかったこと」「出会いの喜び」「辛かった日々」等々、自分とは違う人生を歩んできた人たちを少しだけ知る面白さがある。同じ時代を過ごしてきた者として共感を覚えることもでき、嬉しくなる。

 途中の田舎道や旧道の風景まで味わいがあるように思えてくるのは、正平さんが目的地へ向かうスタート地点で一度その手紙を朗読するからだろう。その手紙に書かれている「こころの風景」とは実際どんなところだろうという関心の高まるにより、道すがらの風景まで何か親しみが湧いてくるから面白い。

 番組の終わり際、読み終えた手紙を封筒にしまい、あぐらの姿勢から潔く立ち上がる正平さんの所作がカッコイイ。思いはすでに次の「こころの風景」に向いている。