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【街景寸考】自慢話をする手合い
Date:2018年11月14日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
あまり会話をしたくないという人間が、まれにいる。自分の自慢話ばかりをして、相手の話をまったく聞こうとしない手合いである。こうした手合いは、相手の気持ちを察することができない質として、周りから嫌がられたり疎まれたりする。特に、無口な人や話下手の人をつかまえて長々と自慢話をしている光景などは、見るに忍びない。
自分がその話を聞かされる立場にあるときは、退屈をとおり越して怒りの感情まで湧くことがある。まさに厚顔無恥というのは、こういう手合いのことである。世間には他人の自慢話を延々と聞きたいと思うような奇特な人間は、一人もいないだろう。
いつも自慢話をする手合いは、相手の話に被せて自分の話にすり替えるのがうまい。いつの間にかにすり替えてくる。相手はいきなり話を中断させられたうえ、聞きたくもない自慢話を聞かされるはめになるので、その口惜しさや苛立ちは言わずもがなである。
これが年寄りのことであれば、まだ我慢ができる。聞きながら、いたわりの気持ちに切り換えることで何とか我慢することができる。「事実、これまでがんばってきた人だから」と思うことで、同情心さえ寄せることができる。実際、自慢話をする年寄りは、現役時代に立派な仕事をしてきた方々が多いように思う。自慢話をしたくなるのは、存在感が薄れていく定年後に、自分を周囲に誇示したいという思いからなのだろう。
それに比べて現役の働き手が自慢話をする様子は、とても見ていられない。知能も、教養も、人間性も疑いたくなる。こういうタイプは、どこか本当には自分に自信がなく、何がしかの劣等感を抱えていたり、強い虚栄心を持っていたりする場合が多い。自分を人並み以上の人間として認めさせたいという、強い思いがそうさせるのだろう。
かく言うわたしも、自慢話をしてしまうことがある。野球の試合で久々にホームランを打ったときの翌日などは、居合わせた息子たちにはもちろんだが、普段野球をしない近所のおやじたちにまで自慢をすることがある。自分のことをもっと知ってもらいたいと思うときなんかも、話の勢いを抑えきれずに口から飛び出してしまうことがある。
逆に、自分のことを決して自慢しようとしない人間もいる。こうした人間は、謙虚で、賢いタイプに多い。聞き上手であり、適度に話をすることも心得ている。柔和な表情の中に、落ち着きと自信のようなものが窺える人たちだ。自分の長所も短所も心得ていて、それを自分らしさとして受け入れているという点でも共通している。
ベランダに天日干しの渋柿が吊るされている。その干し柿を眺めながら思った。人間も世間に長く晒されていれば、ほどよく熟していくのが理というものではないのかと。まだ渋の残る自分のことを悔やみながら。