【街景寸考】コミュニケーション能力のこと

 Date:2019年02月06日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 いつの頃からかは知らないが、企業の採用担当者が最も重視しているのはコミュニケーション能力のある人材のようだ。わたしが学生だった頃は、誠実で明るく、素直で積極性のある人柄であることを重視していた。もっとも、今で言うコミュニケーション能力の中にはこうした人柄も含まれているようである。

 コミュニケーションとは伝達という意味だ。人に何かを伝えるという行為のことだが、短絡的に考えれば何も難しいことではない。難しくないことをあえて重視するようになったのは、会話による上手なコミュニケーションができない若者が増えてきたからではないか。このことはまた「引きこもり」の増加とも無関係ではないように思う。

 こうした若者が増えてきたのは、都市部における核家族の孤立化であり、ガキ大将を中心とした子ども社会の消滅であり、テレビゲームやスマホの普及であり、更には過度な偏差値教育による弊害などが背景にありそうだ。つまり、会話によるコミュニケーションが苦手になってきたのは若者たち個々の問題ではなく、社会の構造変化によって生じてきたものだと言ってよいのかもしれない。

 こうした若者を象徴するような光景をあちこちで見る。喫茶店や公園などで仲間たちと一緒にいても会話はなく、個々にただ黙々とスマホをいじっている光景である。我々世代から見れば何とも奇妙であり不思議でしかない。これでは若者たちが会話下手になるのも至極当然ではないかと思ってしまう。学生時代、仲間と喫茶店に入れば口角泡を飛ばして議論ばかりしていたわたしたち世代とは大違いである。

 もちろん、コミュニケーション手段は会話だけではない。現在はSNSやブログを活用した文字等によるコミュニケーションもできる。ただ、こうしたソーシャルメディアに偏れば寄るほど、企業が求めるコミュニケーション能力を持つ人材は少なくなっていくのではないかと心配してしまう。生身の人間を前にしたときの温もりや痛み、真意などを受信する能力が、退化していくような気がして仕方がないからだ。

 コミュニケーション「能力」とは、誰とでも意思疎通ができる能力であることは言うまでもなく、加えて相手の気持ちを理解し、配慮できる能力のことでもある。そのためには嫌いな相手とも交流ができなければならず、誰に対しても好感を持ってもらう必要がある。こうした人材を、短い面接時間で見極めるのは簡単ではなかろう。

 コミュニケーションの語源には、「分かち合う」という意味がある。つまり、コミュニティという共同体(会社組織含む)は、何事にも分かち合うことができる人々で構成される集団でもあると言うことができる。口数が少なくても優秀な社員として評価される例があるが、「分かち合う」ことの大切を知っている人に違いない。